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2012年8月

2012年8月27日 (月)

仲村青年。

「こんにちは。僕は記憶することができない障がい者なんです」

といきなり近寄って、汗をぬぐいもせずに、話しかけた青年がいた。7月の暑い日のこと。

唐突に懸命な前傾姿勢で

アート作品を作っていると話す。「どんな作品ですか?」と尋ねると、

「言ってもわからないと思うなぁ」と頭を傾げて恥ずかしそうに照れて笑う。

いろんな説明が抜け落ちている直截さと、その間合いが独特だ。

「ただ並べてるだけ」(?)という作品展案内のB5のフライヤーを

店の掲示板に貼ることを約束した。

五個荘のナチュラルキッチン キュルレ で8月28日までの作品展

アウトサイダーアーティスト 仲村 聡(さとみ)

http://curel.jugem.jp/

 あなたが出会える未知な世界がここには存在する。

 平穏で時間のない暮らし、何が違う?何が。

 朝起きるとぼくはご飯を食べることや歯を磨くことを忘れてしまっている。

 すべての行動を文章化すると寝ることを忘れている。

  ・・・・・生きるために・・・

 これはぼくの生存欲を賭けた冒険だ!」

・・・目に留めてくださったお客様がどのくらいいらっしゃったかしら。

そして、先日、再び現れた仲村青年、「これはお礼です」と

また汗をかきながら、

とてもいい笑顔で、葉書サイズの作品を下さった。

ありがとう! 写真と短詩の額。

P8270616

紙と鉛筆を手放さないで、行動記録をつけている様子。

私の母は、アルツハイマー型認知症になって10余年、

80代の今、少女に戻って不思議な宇宙に棲んでいる。

たぐり寄せても、たぐり寄せても記憶の糸の先に何も付いていない空しい世界。

自分は誰だったのだ?・・・・・母の手帳は、ペン書きの母の姓名でびっしり埋められていて ・・・私は泣いた。

発症初期の母の苦しみは想像するとつらい。

ひとの人生は、「思い出」を作り続けること、思い出が人の心を温めるのだと、私は思う。

それを失うことは、恐怖だ。

記憶を記銘保持できないという彼が体験している日常は、

積み重ねてゆきたい一コマが砂のように崩れてカタチをとどめない、ということなのだろうか。

そんな不安を抱えて、

信じられないくらいの明るさを瞳の奥に湛えながら

瞬間を刻むように、写真や言葉を産みだしているのですか?

あなたは、そんなふうに、ひとに思い出を手渡す方法を編み出したのでしょうか?

仲村くん、スクーターに乗って、また来てくださいね。

2012年8月21日 (火)

つくつくぼうし と 芙蓉。

朝の木立からくぐもった蝉の声、オーシンツクツク♪~~~。

 待ってました!ツP8210441_4クツクボウシ。・・と喜んだのは10日前くらいか。 

 残暑の日々、

 早朝にとっておきの静寂スポットへ出かけて、

 蝉の声と緑陰を愉しんでいる。

 dogおっさんココア君が歳のせいか、

 琵琶湖畔からの帰路にグ~タラ歩きをするようになったため、

 大通寺~八幡宮~舎那院~という散歩を、

 距離短縮の夏場コP8210445ースにした。

 伊吹山を遠景に、長浜八幡宮の参道を朝陽に向かって歩く。

 
 境内の砂利を踏んでお参りのひとがちらほら。

 左手に本殿を見て進むと、

 八幡宮右の奥に

 古刹 舎那院の門が見える。

 芙蓉の名所として有名なこの寺にはたくさんの人が訪れるのだが、

P8210450_2 まだ咲きはじめたばかり。

 これから9月いっぱい 境内、本堂横・裏まで、優しい風情の薄紅の花が

 秋風に揺れる頃まで、毎日けなげに咲きつづけるはずだ。

 もうじき、酔芙蓉も咲くだろう。

 ツィートで満開予報をお知らせしたい。 

 2年前、その年は開花が遅かったのだろうか、

 10月2日に、まだ花をつけていた芙蓉がささめいて

 本堂階段に腰かけた私をそっと迎えてくれた。

 旅の午後に手にしたあの静寂は、花に彩られて、なんと贅沢だったか。。。

P8210459

P8210462_5
  芙蓉の花を楽しみに

  どうぞ、初秋の長濱、舎那院へ。。。。

    camera

  平安時代初期 814年、空海が開山した寺。

  本尊の愛染明王坐像は

  観音堂の阿弥陀如来坐像とともに、

  国の重要文化財に指定されている。

 

 

 

2012年8月16日 (木)

福島菊次郎・・・「ニッポンの嘘」

「問題自体法を犯したものであれば、

報道カメラマンは法を犯してもかまわない」 と

福島菊次郎はきっぱりと言い切ったのだ。

それを明言しながら、鋭く強い信念で闘い続けている91歳のひと。A0esmjtcmaajzmu

真の反骨 を 身をもって行動で表した報道写真家、

福島菊次郎という存在を知り、

終戦記念日までに彼の本を三冊読めてよかった。

いずれも写真でなく彼の熱い言葉があふれている著書。

読後に表紙の写真を見るたびに胸が詰まる。。。

「写らなかった戦後 ヒロシマの嘘」 (現代人文社 2003)

「菊次郎の夏」 (現代人文社 2005)

「殺すな、殺されるな」 (現代人文社 2010)

・・・・掴まれて、ゆさぶられて、ぬるま湯から引きずり出され覚醒させられる。

P8160431

学ぶところが多すぎる!と絶賛されながら、全国で上映がはじまった、

「ヒロシマからフクシマへ」 老写真家福島菊次郎のドキュメント映画

予告編:http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=3MklEqq-qqY

「ニッポンの嘘」 http://bitters.co.jp/nipponnouso/intro.html

・・・「スクリーンから暴風雨を浴びているようだった」

・・・「ココロに突き刺さった」

・・・「こんなにもカッコイイ老人が現役でこの国に存在しているということに感動」

毎日増え続ける鑑賞者のつぶやき。

https://twitter.com/nipponnouso

↓映画館ではこんな展示などもあるそうだ。

写真: 現在絶賛上映中の千葉劇場さんでも、映画のスチールや掲載記事など館内で掲出してくださっています。映画では見られない菊次郎さんの写真や、これまでの波乱万丈の経歴などご覧いただけます。ぜひご覧ください。

震災以降、いまだに露見し続けている、「嘘」の、うえにも、したにも「嘘」がある現実に

虚脱して、心を折ったりしないで、

嘘を暴くという菊次郎の示した骨太の生き方を、しっかり見ることを、したいと思う。

movie

flair

2012年8月10日 (金)

和線香花火。

朝夕に、ふっと降りてくる小さな秋を見つけられるようになった。 

もうおとなになった娘の住まいを訪ねたのは、ちょうど秋立つ日。  

夕ご飯のあとに、線香花火遊びをする。 

高層階ベランダの眼下は、まだ夏温度の眩しい夜景。

P8070166

福岡県みやま市の、筒井時正玩具花火製造所 http://www.tsutsuitokimasa.jp/tokimasa.html で

作られる線香花火。

友より、遠来の一束。

宮崎産の松煙を、八女の手すき和紙で包んで作られる国産線香花火だ。

↑丁寧につくられたその華奢な姿を、小さなポシャギに載せて撮影。

点火したあと火の玉が落ちないように、首の部分を注意深く、撚る職人さんの手。(HPより)

Photo

小さなひとたちのようにたくさんは要らないので

この一束を、開いて、

光の花を、ひとつずつ咲かせてゆけば、

もう十分満たされるゆるやかなオトナ時間。

点火した姿は、「蕾」 そして、P8080183_2「牡丹」 から 元気な「松葉」へと、

光りの表情が変化してゆく。

そして、最後は、細い菊の花びらを散らすようにして

儚い残像が消えいる静寂のとき、

見ている誰もがふうっと一緒にそこで息を吐くだろう。

花火と、呼吸を合わせる。

手で丁寧に作られたものを、大事に咲かせて見届けること、

この時間にこめられた密度は、

往く夏を見送るにふさわしいものだった。

2012年8月 5日 (日)

自分の感受性くらい。

炎天が続くうえに、日夜英国から送られる筋肉体躯満載TV画面と、時事錯綜感に、当てられて

いささか、丹田に力が入りにくい(?)日々。

そのような夏の午後、

冷えた西瓜の二切れを、差し出すかわりに

茨木のり子 (1926-2006) の詩をお盆に載せて・・・・。 

どうぞ、きりりと清涼な?味わいを、ぐぉんと飲みこんでくださいな。

ただし、西瓜ほどは飲みこみやすくありません。

pencil 自分の感受性くらい  詩集「自分の感受性くらい」「おちこぼれ」より

「・・・(略)

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

P8050158

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ」

pencil もっと強く   詩集 「対話」より

「もっと強く願っていいのだ

わたしたちは明石の鯛がたべたいと

もっと強く願っていいのだ

わたしたちには幾種類ものジャムが

いつも食卓にあるようにと

もっと強く願っていいのだ

わたしたちは朝日の射すあかるい台所がほしいと

すりきれた靴はあっさりとすて

キュッと鳴る新しい靴の感触を

もっとしばしば味わいたいと

秋 旅に出たひとがあれば

ウィンクで送ってやればいいのだ

なぜだろう

萎縮することが生活なのだと

おもいこんでしまった村と町

家々のひさしは上目づかいのまぶた

おーい 小さな時計屋さん

猫背をのばし あなたは叫んでいいのだ

今年もついに土用の鰻と会わなかったと

おーい 小さな釣具道屋さん

あなたは叫んでいいのだ

俺はまだ伊勢の海も見ていないと

女がほしければ奪うのもいいのだ

男がほしければ奪うのもいいのだ

ああ わたしたちが

もっともっと貪婪にならないかぎり

なにごとも始まりはしないのだ」

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